田中角栄邸の現在と全焼火災の真相|目白御殿の歴史と跡地活用を追う
田中角栄氏が文京区目白台の土地を取得したのは、首相就任より前の1953年(昭和28年)頃です。起伏に富んだ目白台の高台に位置し、神田川を見下ろす緑豊かな敷地は、最盛期には約2,000坪(約6,600平方メートル以上)にも達していました。
敷地内には広大な日本庭園が広がり、新潟の銘石や樹齢数百年の銘木が配置され、巨大な池には数百匹の高級錦鯉が群泳していました。本館のほかに私設秘書たちの宿舎、来客専用の応接棟、日本列島改造論の構想を練り上げた執務室が並び、まさに一国の政治中枢が私邸の中に構築されていたのです。
角栄氏が自民党最大派閥「田中派(木曜クラブ)」を率い、首相および「キングメーカー(闇将軍)」として君臨した1970年代から1980年代前半にかけては、毎朝午前6時を過ぎると数百人の国会議員、官僚、地方首長、陳情団が列をなしました。この光景はメディアから「目白参り」と呼ばれ、自民党本部や首相官邸を凌駕する権力装置として「目白御殿」の異名が定着しました。