日本のクリスマスはなぜチキンと恋人?知られざる歴史と2026年最新動向
商業化されたイメージが先行する日本ですが、日本のクリスマス歴史を紐解くと、その起源は今から470年以上前に遡ります。文献に残る最古の記録は、戦国時代の1552年(天文21年)、周防国(現在の山口県山口市)において、イエズス会の宣教師コスメ・デ・トーレスらが司祭館に日本人信徒を招いて行った降誕祭のミサです。当時、信徒たちは互いに抱き合って涙を流し、貧しい人々に食事を施したと記録されています。
その後、豊臣秀吉や江戸幕府による禁教令、鎖国政策によってキリスト教の儀礼は完全に地下へと潜伏しました。日本人が再び公にクリスマスを目撃するのは、明治維新後の開国を経てからのことです。日本のクリスマスいつから庶民に親しまれ始めたのかという転換点は、明治33年(1900年)、銀座の高級輸入食料品店「明治屋」が店舗正面にクリスマスツリーのイルミネーションを飾り付け、大々的な歳末セールを開始した時期に求められます。
そして、食文化における最大のパラダイムシフトをもたらしたのが「クリスマスケーキ」の誕生です。クリスマスケーキ起源および不二家クリスマスケーキ歴史は、洋菓子メーカー「不二家」の創業者・藤井林右衛門の足跡と直結しています。1910年(明治43年)、横浜・元町に小さな洋菓子店を開いた不二家は、米国で学んだ製菓技術を基に、1922年(大正11年)頃からクリスマスケーキの製造・販売をスタートさせました。
当時のケーキは日持ちを優先した硬いドライフルーツケーキにフォンダン(砂糖衣)をかけたものでしたが、昭和30年代に入ると冷蔵技術と生クリームの流通が進展。純白の生クリームに真っ赤な苺を配した「日本型ショートケーキ」が完成します。「白と赤」はおめでたい紅白カラーを連想させ、雪景色の純白とサンタクロースの赤を体現するシンボルとして、戦後復興期の家庭に「幸福の象徴」として受け入れられました。不二家や山崎製パンなどの全国規模の流通網により、「クリスマスにホールケーキを切り分ける」習慣が全国津々浦々まで浸透していったのです。