久留米・水天宮総本宮の真実|東京との違いと圧倒的安産ご利益の全貌
首都圏在住者の間では「水天宮=日本橋蛎殻町」という認識が定着していますが、歴史的事実として東京の水天宮は久留米の総本宮から分祀された神社です。
文政元年(1818年)、久留米藩第9代藩主である有馬頼徳(ありまよりのり)公が、領地である久留米の水天宮を深く崇敬していたことから、江戸・三田の赤羽藩邸内に御分霊を勧請しました。当時、大名屋敷内にあった社殿は庶民の参拝が禁じられていましたが、有馬公は毎月「5の日」に限り屋敷の門を開放。江戸っ子たちはこぞって参拝し、「情け有馬の水天宮」という流行語が生まれたほどでした。明治4年(1871年)に現在の日本橋蛎殻町へ遷座し、今日に至ります。