千代の富士貢の真実|ウルフの肉体改造・53連勝から家族の現在
どのような偉大な王者にも、土俵を降りる瞬間は訪れます。千代の富士の現役生活に幕が下りたのは、1991年(平成3年)5月場所のことでした。この場所の初日、相撲史に永遠に刻まれることとなる歴史的な一番が組まれます。当時18歳、飛ぶ鳥を落とす勢いで台頭していた若き俊英・貴花田(後の第65代横綱・貴乃花)との対戦です。
日本中の視線が両者に注がれた千代の富士と貴花田戦の真相は、単なる1つの黒星以上の意味を持っていました。立ち合い、千代の富士はいつもの鋭い踏み込みを見せますが、若さと勢いに満ちた貴花田の力強い寄りに屈し、土俵を割りました。館内を揺るがした座布団の嵐と大きなどよめき。それは、ひとつの時代が終わりを告げ、新たな時代が幕を開けた瞬間を誰もが本能的に察知した瞬間でもありました。
初日の敗戦後、千代の富士は2日目に板井を破って意地を見せたものの、3日目の貴闘力戦で完敗。その日の夜、緊急記者会見が開かれました。テレビカメラの無数のフラッシュが光る中、ウルフと呼ばれた屈強な横綱は、唇を震わせ、大粒の涙を瞳に浮かべながら絞り出すように語りました。
「体力の限界……! 気力もなくなり、引退することになりました」
この千代の富士の引退理由となった「体力の限界」というフレーズは、平成を代表する名言として今なお語り継がれています。しかし、当時の関係者の証言や千代の富士自身の述懐を掘り下げると、肉体的に動けなくなったことだけが理由ではありませんでした。直前の場所でも二桁勝利を挙げており、並の力士であれば現役を続けられる状態にありました。
真の理由は、「横綱として完璧な相撲が取れなくなったこと」、そして「貴花田という次世代の怪物の勢いを受け止めた際、張り詰めていた緊張の糸が切れたこと」にありました。誰よりも自分自身の相撲に誇りと美学を持っていたからこそ、自らの衰えを誤魔化すことなく潔く認める。その引き際の鮮やかさもまた、彼がレジェンドと呼ばれる大きな所以です。