大津事件の真相|ロシア皇太子襲撃の動機と司法の独立を守った裏側
日本史の教科書において、児島惟謙は「政府の横暴から司法の独立を守り抜いた不屈の英雄」として描かれるのが通例です。しかし、近年の歴史学および憲法学の検証では、この美談の裏に潜む重大な矛盾と法的瑕疵が指摘されています。
最大の盲点は、「児島惟謙自身はこの裁判の担当裁判官(合議体の構成員)ではなかった」という厳然たる事実です。大津事件を担当した特別法廷の裁判長は堤正己判事であり、児島は大審院長という管理職(司法行政の長)の立場に過ぎませんでした。にもかかわらず、児島は裁判官たちの控室へ連日足を運び、「もし大逆罪を適用して死刑にすれば、日本の司法は死ぬ」「法に従って無期刑に処すべきだ」と判事たちを直接説得・指導し続けました。
行政権力(内閣)からの干渉を排除したという点では確かに「司法権の独立」を守りました。しかし、司法組織の内部において、上長が個々の裁判官の自由な心証形成と独立判断に介入したという点において、現代の司法原則から見れば「裁判官の独立(憲法第76条第3項が保障する個々の裁判官の職権行使の独立)」を著しく侵害する内部越権行為でもありました。後に児島自身が司法官弄花事件(司法官の賭博スキャンダル)を巡って職を追われる皮肉な結末を迎えたことも、この歴史的事件が一筋縄ではいかない人間の権力闘争であったことを物語っています。
また、ロシア側の反応についても誤解が少なくありません。当時のロシア皇帝アレクサンドル3世は、息子の暗殺未遂という凶変に激怒したものの、明治天皇の見舞いや日本の誠心誠意の謝罪姿勢を一定程度評価し、日本政府が恐れていた軍事報復や領土割譲要求などの無茶な要求は行いませんでした。当時のロシア政府高官の回想録によれば、シベリア鉄道の完成前に東アジアで戦争を起こすことは兵站上不可能であり、日本の恐怖心はやや過剰な被害妄想であった側面も浮き彫りになっています。