梅宮アンナの歴代元カレ遍歴と羽賀研二騒動の真相|元夫との離婚理由まで徹底追及
梅宮アンナの恋愛史を語る上で避けて通れないのが、1994年から1999年にかけて日本中を巻き込んだタレント・羽賀研二との熱愛騒動です。当時、清純派トップモデルとして絶大な人気を博していた彼女と、「プレイボーイ」「希代のモテ男」として知られた羽賀の交際は、発覚当初から芸能界に激震を走らせました。
交際が深まるにつれ、羽賀が抱えていた数億円規模の巨額借金問題が次々と表面化します。高級外車や不動産投資の失敗で膨らんだ負債を巡り、アンナ自身が連帯保証人の危機に瀕するなど、事態は単なる男女の恋愛を超えた金銭スキャンダルへと発展しました。1995年には借金返済の一環として話題となったペアヌード写真集『I'm nothing』を出版し、世間から激しいバッシングを浴びることになります。
この事態に立ち上がったのが、昭和を代表する大スターであり父親の梅宮辰夫氏でした。辰夫氏はワイドショーの直撃取材に対し、カメラの前で怒りを露わにしながら「あいつは稀代のワルだ」「絶対に結婚は許さない」と言い放ち、娘を破滅から救うために公の場で徹底抗戦を展開しました。母・クラウディアも涙ながらに娘を説得するなど、梅宮家全体が崩壊の危機に直面したのです。
しかし、当時のアンナは周囲の反対が強まるほど「私が彼を支えなければならない」「彼を変えられるのは私だけ」という強い使命感に囚われていました。最終的に1999年、繰り返される金銭トラブルや女性問題、家族への耐えがたい心労が限界に達し、約5年間の交際に自らピリオドを打ちました。後に羽賀が詐欺や恐喝未遂事件で逮捕・実刑判決を受けた際、辰夫氏の直感と洞察力の正しさが改めて世間に証明される形となりました。