中村獅童の父が歌舞伎を去った理由とは?初代の壮絶経歴と萬屋の真実

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歌舞伎界を離れた小川三喜雄は、学業を経て一度は銀行員として堅実な社会人生活をスタートさせました。しかし、名門の血筋に流れるエンターテインメントへの情熱は消えることがありませんでした。やがて彼が身を投じたのは、当時隆盛を極めていた東映の映画製作現場でした。

東映では映画プロデューサーとして手腕を発揮し、時代劇の黄金期を牽引。とりわけ、同じく歌舞伎から映画界へ飛び出しスーパースターとなっていた弟・萬屋錦之介の出演作をはじめ、数々の映画製作を裏方として統括しました。役者の心理を誰よりも深く理解し、同時にビジネスとしての冷静な計算ができる三喜雄は、現場で極めて重宝される存在となったのです。

その経験と手腕が最も色濃く発揮されたのが、一人息子である二代目中村獅童の育成でした。獅童が「自分は歌舞伎役者になりたい」と志した際、舞台の現場に立てない父・三喜雄は、決して安易な反対はしませんでした。その代わり、個人事務所である「有限会社中村獅童事務所」を立ち上げて自ら会長に就任。映画界で培った契約交渉術や興行関係者とのネットワークを駆使し、息子の芸能活動を鉄壁の守りで支えたのです。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。