ダッコちゃん人形が消えた真相|空前の大ブームから人種差別問題の深層

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ダッコちゃん人形の運命を決定づけたのは、1988年7月に掲載された米有力紙『ワシントン・ポスト』の記事でした。同紙の東京支局長が、日本国内に溢れる黒人をモチーフにしたキャラクターや広告を取り上げ、「ステレオタイプで差別的な黒人描写が放置されている」と批判的な論陣を張ったのです。

この記事を契機に、国内でも大阪の市民団体「黒人差別をなくす会」などが企業各社に対して公開質問状を送付。ダッコちゃんの造形に見られる「極端に黒い肌」「誇張された赤い唇」「頭に刺した羽」「腰みの」といった要素が、19世紀アメリカのミンストレル・ショー(黒人見世物小屋)に端を発する人種差別的な戯画表現(ピカニニー様式)と酷似しているとの指摘が相次ぎました。

ダッコちゃんマーク変更の経緯は、急速に進む日本企業の国際化とポリティカル・コレクトネスの台頭に対する防衛策でもありました。当時、米国市場への進出を本格化させていたタカラにとって、自社のシンボルマークが海外で人種差別企業との誤解を招くリスクは看過できない問題でした。創業者である佐藤安太氏をはじめとする経営陣は熟慮の末、1989年に公式マークの使用を全面的に停止。翌1990年には新しいコーポレートロゴへと刷新され、伝統ある黒いダッコちゃんのキャラクター商品は実質的な自主回収と生産終了へと追い込まれました。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。