「それが大事」歌詞で結局何が大事?立川俊之が語る誕生秘話と本音の真相

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1991年8月25日にリリースされた当初、「それが大事」は爆発的な売れ行きを見せていたわけではありませんでした。潮目が一変したのは、フジテレビ系の伝説的バラエティ番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のテーマソングに起用されたことです。山田邦子氏をはじめとする当時のトップスターたちの熱量と重なり合い、オリコンシングルチャートで最高位4位を記録、ミリオンセラーを達成して最終的には公称180万枚以上の大ヒットを記録しました。

華やかなサクセスストーリーの裏で、制作当時の立川俊之氏が置かれていた状況は切迫していました。埼玉県草加市で結成された大事MANブラザーズバンドは、下積み時代が長く、立川氏自身もアルバイトと音楽活動の両立で多額の生活苦・機材借金を抱えていた時期がありました。制作の直接の動機について、立川氏は「当時交際していた女性を励ますために書いたパーソナルな手紙のようなものだった」と複数のメディア取材で明かしています。決して「日本中を応援する国民的アンセムを作ろう」と構えて生まれた楽曲ではなかった点に、この名曲の純粋なエネルギーが宿っています。

また、メガヒットに伴う金銭的事情も語り草となっています。立川氏が公のトーク番組などで語ったところによると、作詞・作曲を自身で手掛けていたため、最盛期の月収は数千万円に達し、通帳の残高が一気に跳ね上がったといいます。当時のカラオケブームの爆発的普及も手伝い、年間印税は億単位に到達。しかし、急激に手にした大金とプレッシャー、事務所との方針の違いやメンバー間の意識差などが重なり、バンドは活動休止とメンバーの離脱を経験することになります。応援歌を歌いながら、作り手自身が最も人生の荒波に翻弄されていたという事実は、楽曲に奇妙な哀愁と深みを与えています。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。