初代中村獅童の激動人生|名門萬屋を去った真相と二代目に託した夢
初代中村獅童の足跡を紐解く上で欠かせないのが、歌舞伎界屈指の名門である「萬屋(旧・播磨屋一門)」の家系図です。初代中村獅童の本名は小川三喜雄(おがわ・みきお)。1929年(昭和4年)10月5日、昭和を代表する名女形として名高い三代目中村時蔵の三男として東京に誕生しました。
小川家の兄弟構成は、まさに日本芸能史そのものと言える豪華な顔ぶれが揃っています。
- 長男:二代目中村歌昇(のちの三代目中村歌六、名脇役として活躍)
- 次男:四代目中村時蔵(将来を嘱望された名女形、若くして急逝)
- 三男:初代中村獅童(小川三喜雄)
- 四男:初代中村錦之助(のちの昭和の大スター・萬屋錦之介)
- 五男:初代中村嘉葎雄(映画・テレビで重厚な演技を見せる名優・中村嘉葎雄)
幼少期より舞台に立ち、兄弟とともに厳しい芸の修行に励んだ小川三喜雄は、「初代中村獅童」を名乗って歌舞伎の舞台を踏みました。「獅童」という名跡は、父・三代目時蔵の俳名(俳句を詠む雅号)である「獅童」に由来しており、父の深い期待を背負った名跡でした。
当時の歌舞伎界は戦後の混乱期から復興へと向かう激動の時代。兄弟たちが舞台や草創期の映画界で頭角を現していく中、初代獅童もまた将来を期待される若手役者の一人として注目を集めていたのです。