阿部定事件から90年|愛慾の果てに局部を切断した動機と数奇な余生
事件が白日の下にさらされたのは、1936年5月18日午前11時頃のことでした。阿部定事件の現場となったのは、東京市荒川区尾久(現在の東京都荒川区西尾久)にあった待合「満佐喜(まさき)」の2階八畳間。宿の女中が踏み込んだ部屋には、常軌を逸した光景が広がっていました。
布団の上に横たわっていたのは、中野の鰻料理店「吉田屋」の主人であった石田吉蔵(当時42歳)の遺体でした。死因は首を紐で絞められたことによる窒息死。遺体は下半身の局部(陰茎および睾丸)が包丁で完全に切断されており、シーツと吉蔵の左太ももには、自らの指に血をつけて書いた「定吉二人キリ」、左腕には刃物で「定」の文字が刻み込まれていました。
前日に「吉蔵さんは疲れて眠っているから起こさないでほしい」と言い残して宿を立ち去っていたのが、当時30歳の阿部定でした。ふたりは事件前の4月23日から約3週間にわたり、この待合にほぼ缶詰状態となって昼夜を問わず性生活に溺れ続けていました。当時の警察発表や司法記録によれば、現場には争った形跡がほとんどなく、吉蔵が深い眠りについている最中、あるいは意識朦朧とした状態のなかで静かに命を奪われた事実が裏付けられています。