ピンクレディー未唯Mieの現在と奇跡の美貌|結婚歴や印税の真相に迫る
本名・根本美鶴代として静岡県に生まれた彼女は、オーディション番組『スター誕生!』での合格を機に、1976年に「ペッパー警部」で増田惠子と共にデビューを果たしました。そこから始まった快進撃は、日本歌謡界の歴史を塗り替えるものとなります。
『S・O・S』『渚のシンドバッド』『ウォンテッド (指名手配)』、そしてミリオンセラーを記録した『UFO』や『サウスポー』など、発表する楽曲が立て続けにオリコン1位を獲得。子どもから大人までが完璧に振付を真似る社会現象へと発展しました。
しかし、その華やかさの裏にあったのは、1日の睡眠時間が45分から1時間程度という過酷極まりない労働環境でした。食事を摂る時間すら移動の車内のみという限界状態が続く中、過労による倒伏や精神的プレッシャーと闘い続けた日々は、後に本人の手記や回顧インタビューでも赤裸々に語られています。
そして1981年、後楽園球場でのコンサートをもってピンク・レディーは解散。全米進出への挑戦と挫折、そして「消費されるだけのアイドル」から脱却し、「一人の表現者として生きたい」という強い意志が解散への決定打となりました。