東海村臨界事故で被曝した作業員の真実|83日間の闘病記録と教訓
搬送当初の大内さんは、意識もはっきりしており、医師や看護師と普通に会話を交わしていました。右手の一部に赤みが見られた程度で、一見すると重症患者には見えなかったといいます。しかし、体の中では目に見えない破壊が急速に進行していました。
事故から1週間足らずで、血液中の白血球(特に感染症と戦う好中球)の数がゼロ近くまで激減。無菌室での集中治療が開始され、実の妹からの末梢血幹細胞移植が行われました。移植された妹の造血幹細胞は一時的に生着し、血液細胞を作り出す兆候を見せましたが、大内さんの体内に残存していた放射線の影響や過剰な免疫反応などにより、やがてその細胞の染色体までもが傷ついていきました。
さらに深刻だったのは、皮膚と消化管の崩壊です。粘着テープを剥がすだけで皮膚がそのまま剥がれ落ち、全身の皮膚が失われていきました。表皮を失った体表からは大量の体液と血液が滲み出し、腸の粘膜が脱落して1日に数リットルもの激しい下痢と出血が続きました。
医療チームは、毎日何リットルもの輸血と輸液、皮膚移植、呼吸器管理を行い、人体の尊厳を守るため24時間態勢で懸命な救命処置を継続しました。しかし、事故から59日目に心停止が発生。心肺蘇生により一度は心拍を取り戻したものの、全身の多臓器不全が進行し、1999年12月21日、事故から83日目に多臓器不全のため息を引き取りました。