後藤象二郎と野獣先輩の激似説を徹底検証!教科書写真の真相と歴史
ネットミームとして親しまれる一方で、後藤象二郎(1838〜1897年)は近代日本の礎を築いた本物の大立者です。ここで改めて、彼の輝かしい経歴と激動の生涯を振り返ってみましょう。
土佐藩の上士の家に生まれた象二郎は、藩の実力者であった叔父・吉田東洋に学び、若くして藩政の中枢に抜擢されました。当初は尊皇攘夷派を取り締まる保守派の立場にあり、武市半平太率いる土佐勤王党を厳しく弾圧した冷徹な政治家でもありました。しかし時代の趨勢を見極める眼力は極めて鋭く、脱藩していた坂本龍馬と長崎で会談(いわゆる「清風亭の会談」)したことを契機に、大きく舵を切ります。
龍馬が提示した国家構想「船中八策」を高く評価した象二郎は、これを土佐藩の公式方針として採用。前藩主・山内容堂を説得し、15代将軍・徳川慶喜に対して平和的な政権返上を迫る「大政奉還」の建白書提出を主導しました。武力倒幕を目指す薩長同盟とは一線を画し、無用な流血を避けて近代国家への移行を促した彼の功績は、日本史上でも屈指の英断と称えられています。