拓銀破綻の衝撃から29年、2026年の「金利ある世界」で再浮上する地銀再編と信用リスクの真実
病根は1980年代後半のバブル経済期にまで遡る。当時の拓銀は、地元北海道の需要頭打ちを打破しようと、本州市場への積極的な進出を試みた。首都圏を中心とする不動産開発、ゴルフ場、リゾート事業へ巨額の融資を次々と実行していったのである。
だが、バブルが弾けると、それらのプロジェクトは瞬く間に不良債権と化した。「たくぎん保証」をはじめとする関連会社を経由した融資は実質的に回収不能となり、含み損は膨らみ続けた。リスク管理という概念すら怪しいまま、担保価値の暴落を直視せず、先送り処分を重ねたツケが破滅の芽を育てたのだ。
さらに、1997年春に打診された北海道銀行との合併構想も、拓銀が抱える莫大な不良債権の実態が露呈する中で破談となった。救済の梯子を外された拓銀には、もはや自力再建の道は残されていなかったのである。