和同開珎の読み方はどっち?富本銭との違いや流通の謎・買取相場を解説
国家の威信をかけて発行された和同開珎ですが、現実の経済政策としては大失敗に近い結末をたどりました。都から離れた地方ではほとんど使われず、経済活動の現場に定着しなかったのです。
流通しなかった最大の理由は、「当時の人々に信用貨幣の価値が理解できなかったこと」にあります。数千年にわたり米や布、塩などの実物貨幣で暮らしてきた民衆にとって、「文字が彫られただけの小さな銅の板」に米1斗(約6キロ)もの価値があると言われても信用できませんでした。
さらに発行当初、朝廷は銀銭(1文)=銅銭(4文)という極端な交換比率を設定しました。しかし銀そのものの地金価値が高すぎたため、人々は銀銭ばかりを欲しがり、銅銭を受け取り拒否する事態が発生します。結果として銀銭は私鋳(偽造)が横行し、発行からわずか1年余りの709年8月に銀銭は廃止へ追い込まれました。
銅銭を使わせようと焦った朝廷は、711年に「蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)」を発布します。これは「一定額以上の銭を貯蓄した者に官位(位階)を与える」というインセンティブ制度でした。例えば10貫(1万文)以上貯めれば位を授けるという内容です。
しかし、この政策は完全に裏目に出ました。官位が欲しい貴族や豪族はお金を使わずに屋敷の倉へ溜め込み、貨幣の「死蔵(タンス預金化)」が一気に加速。市場を巡るはずのお金が消滅し、流通をさらに滞らせるという皮肉な結果を招いたのです。