柳条湖事件の真相とは?満州事変の発端と自作自演の全貌を徹底解説
柳条湖事件を主導したのは、当時「関東軍」の中枢にいた作戦主任参謀・石原莞爾中佐と高級参謀・板垣征四郎大佐らの一派でした。実際に現場で爆薬を仕掛けたのは河本末守中尉ら独立守備隊の分遣隊です。彼らが周到な自作自演工作を強行した背景には、当時の国際情勢と日本国内の危機的状況が複雑に絡み合っていました。
第一の理由は、「満蒙領有による資源確保と安全保障の確立」です。1929年に始まった世界恐慌の余波を受け、日本経済は深刻な昭和恐慌に喘いでいました。農村の疲弊と失業者の急増に直面する中、石原らは自著や作戦計画書において「満蒙(満州・内モンゴル)は日本の生命線であり、この地を領有・支配することこそが日本経済の再生と将来のソ連・米国との対決(世界最終戦論)に不可欠である」と主張していました。
第二の理由は、「中国側の国権回収運動に対する危機感」です。張作霖爆殺事件(1928年)以降、満州の実権を握った息子の張学良は国民政府(蒋介石政権)と手を組み、日本の鉄道と並行する新たな鉄道網の建設を進めるなど、日本の満州権益を排除する動きを強めていました。関東軍は「座して権益を失うくらいなら、武力による現状打破しかない」という極端な焦燥感に駆られていたのです。
極東国際軍事裁判(東京裁判)や関係者の戦後手記・回想録でも明かされている通り、爆破による線路の損傷は極めて軽微でした。爆破からわずか数十分後には、南下してきた急行列車が無傷のまま爆破現場を通過できたほどです。しかし関東軍はこれを「未曾有の不法行為」と大々的に喧伝し、待機させていた部隊を一斉に奉天の中国軍基地(北大営)へと突入させました。