岡山城天守閣はなぜ黒い?令和大改修の見どころと料金・所要時間を徹底解剖
岡山城天守閣を仰ぎ見た誰もが抱く根源的な疑問、それが「なぜこれほどまでに黒いのか」という点です。全国各地に残る江戸時代の天守の多くが白漆喰の壁を持つなか、岡山城の外壁は下見板(横に張られた木の板)に黒漆が塗り込められた極めて特徴的な意匠を誇っています。
歴史学者らの研究および公式記録によると、この漆黒の外装は、築城主である宇喜多秀家と天下人・豊臣秀吉の極めて強固な主従関係に起因しています。秀吉は織田信長の安土城の系譜を汲み、自身の象徴である大坂城天守に黒漆塗りの外壁と燦然と輝く金箔瓦を採用しました。秀吉の寵愛を受け、若くして五大老のひとりに登り詰めた秀家は、自城の天守に秀吉の大坂城と酷似した漆黒の意図を忠実に移植したのです。天守の屋根瓦の一部にも金箔が施されていたことから、岡山城は別名「金烏城(きんうじょう)」とも呼ばれ、西国における豊臣政権の強大な威光を誇示する軍事・政治モニュメントとして君臨しました。
さらに建築構造の面で専門家を驚嘆させ続けているのが、天守台石垣および1階平面が描く不等辺五角形の形状です。一般的な城郭の天守台は四角形(矩形)ですが、岡山城は土台となった標高十数メートルの丘陵「岡山」の起伏や地盤の制約に沿って石垣を組んだため、歪な五角形となりました。西側には防衛拠点および補給路を兼ねた付櫓(塩蔵)が接続され、堅牢な防御導線を形成。後楽園側から旭川越しに天守を見上げると、この特異な角度と石垣の急勾配が織りなす立体的な陰影を鮮明に観察できます。