葛飾北斎「画狂老人卍」改名の真相|晩年代表作と90年の狂気

葛飾北斎「画狂老人卍」改名の真相|晩年代表作と90年の狂気の全体像を分かりやすくまとめてご紹介します。

画狂老人卍の晩年を語る上で、三女であり自身も卓越した絵師であった葛飾応為(かつしか おうい、本名:お栄)の存在を外すことはできません。一度は絵師の元へ嫁いだものの、夫の描いた絵の拙さを笑って離縁されたという剛毅な性格の持ち主で、実家に戻ってからは北斎の制作パートナーとして寝食を共にしました。

門弟・露木為一が残したスケッチ『北斎仮宅之図』には、晩年の北斎と応為の凄まじい生活実態が克明に描かれています。部屋の中にはゴミや描き損じの反故紙が散乱し、布団にくるまった北斎が前屈みになって筆を走らせ、その傍らでお栄がタバコを燻らせながら筆を構えています。

2人は炊事や掃除といった家事を一切行わず、食事はすべて近所の店から出前を取って食べ散らかし、部屋がゴミで埋め尽くされると別の長屋へと引っ越すという生活を繰り返していました。周囲から見れば完全な奇行ですが、これは生活の雑務に1分1秒たりとも創作の時間を奪われたくないという、2人の狂的な芸術至上主義がもたらした必然の環境でした。

応為は「光と影の魔術師」と称されるほどの卓越した陰影描写の技術を持っており、北斎晩年の大型肉筆浮世絵や美人画の傑作群において、彼女が重要な部分を着彩・下絵制作していた共同制作(コラボレーション)の証拠が近年の研究で次々と明らかになっています。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

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