二・二六事件とは?昭和史最大のクーデターの真相をわかりやすく解説
1936年2月26日、午前5時。東京には30年ぶりとなる約30cmの大雪が降り積もっていました。週番士官の立場を悪用して武器庫の鍵を開け、実弾を手に入れた将校らは、何も知らされないまま招集された下士官兵1,483名を率いて永田町・霞が関一帯へ進発しました。襲撃部隊は綿密な計画のもと、各要人の私邸や公邸へ殺到します。
最大の悲劇となったのが、赤坂表町の大蔵大臣私邸を襲撃された高橋是清(当時81歳)でした。恐慌から日本経済を鮮やかに立て直した天才財政家でありながら、膨張し続ける軍事費を「これ以上増やせば国家財政が破綻する」と削減しようとしていたため、軍部の目の敵にされていました。拳銃を手にした中橋基明中尉らが寝室に乱入した際、高橋是清は動じることなく「馬鹿者!」と一喝したと伝えられています。しかし青年将校らは躊躇することなく発砲し、軍刀で突き刺してその命を無残に奪いました。
一方、首相官邸では奇跡的な岡田啓介首相の脱出劇が演じられていました。栗原安秀中尉率いる部隊が官邸になだれ込み、岡田首相の身代わりとなって犠牲になったのが、義弟であり私設秘書官の松尾伝蔵でした。松尾の容姿が岡田に酷似していたため、反乱部隊は松尾の遺体を確認して「首相を討ち取った」と誤認します。本物の岡田啓介は女中部屋の押し入れに身を潜めて難を逃れ、翌日、弔問客に紛れ込んで女中や憲兵の手引きにより官邸からの脱出に成功しました。
さらに、侍従長であった鈴木貫太郎(後の終戦時首相)も激しい銃撃を受けました。胸や頭部など4発の弾丸を浴びて倒れ、将校が軍刀でとどめを刺そうとした瞬間、妻・たかが「主人はすでに虫の息です。武士の情けとして、とどめを刺すのはご容赦ください。私が責任を持ちます」と将校の足元に必死にすがりつきました。襲撃を指揮していた安藤輝三太尉はたかの気迫と武士の情けに打たれ、「閣下に敬礼」と号令をかけてその場を引き揚げました。奇跡的に一命を取り留めた鈴木が、9年後に首相として日本の戦争終結を決断したことを考えれば、歴史の皮肉な綾と言わざるを得ません。