三笠宮崇仁親王の真実|学者肌の宮様と百合子妃が紡いだ激動の百年
三笠宮崇仁親王の波乱に満ちた歩みを陰で支え続けたのが、妻の百合子妃(旧姓:高木百合子)でした。三笠宮崇仁親王と百合子妃は1941年(昭和16年)10月に結婚。子爵高木正得の次女として生まれ、学習院女子中等科を経て18歳で宮家に嫁いだ百合子妃は、太平洋戦争の激化とともに苦難の時代を迎えます。
1945年5月の東京大空襲では、渋谷区にあった三笠宮邸が全焼。百合子妃は乳児だった長女・甯子内親王を抱きかかえ、防空壕の中で猛火をくぐり抜けました。戦後の物資不足の時代には、親王の研究生活を支えるため、自ら家庭菜園を耕し着物をほどいて子供たちの衣服を縫い直すなど、質素で堅実な生活を実践しました。
三笠宮崇仁親王の家系図と子供に目を向けると、夫妻の間には3男2女の計5人の子女が誕生しました。
- 長女:甯子内親王(1944年生、近衛忠煇氏へ降嫁)
- 長男:寬仁親王(1946〜2012年、「ヒゲの殿下」として国民に親しまれる)
- 次男:宜仁親王(桂宮)(1948〜2014年)
- 次女:容子内親王(1951年生、裏千家16代家元・千宗室氏へ降嫁)
- 三男:憲仁親王(高円宮)(1954〜2002年、日本サッカー協会名誉総裁等)
順風満帆に見えた家族の歩みでしたが、晩年には耐え難い悲痛が待ち受けていました。2002年に三男の高円宮憲仁親王が47歳の若さで急逝。続いて2012年に長男の寬仁親王が66歳で、2014年には次男の桂宮宜仁親王が66歳で相次いで薨去しました。親として3人の男子全員に先立たれるという過酷な運命に見舞われながらも、親王と百合子妃は互いに手を握り合い、深い悲哀を乗り越えていきました。