爆笑問題と浅草キッド因縁の真相!太田光と水道橋博士が和解した理由
1990年代中盤以降、2組の番組共演は完全に途絶えました。しかし、これは本人たちが意図的に番組制作陣へ「あいつとは共演しない」と要求した結果ではありませんでした。実態は、テレビ局側の過度な自主規制とキャスティング上の忖度によって作られた「作られたタブー」だったのです。
当時の民放バラエティ制作現場において、楽屋事件の噂は「混ぜるな危険」の代名詞としてプロデューサーたちの間に定着していました。「もし生放送や収録中に2人が掴み合いになったら番組が破綻する」というリスク回避の論理が働き、キャスティング会議の段階で自動的に両者の名前が同時に挙がらないよう調整されていたのが実情です。
現場スタッフの過剰な配慮によって物理的な距離が保たれた結果、本人たちもまた、メディアを通じて互いの動向を遠巻きに観察せざるを得ない期間が10年以上続くことになりました。しかし、この隔離された時間こそが、互いへの敬意を地下水脈のように育てる契機にもなりました。水道橋博士はテレビの第一線で巨大な権力やタブーに毒舌で切り込み続ける太田光の姿に舌を巻き、太田光もまた、活字の世界で圧倒的な筆力を発揮しルポルタージュを確立していく水道橋博士の文筆活動を刮目して見ていたのです。