上総広常はなぜ粛清されたのか?頼朝が恐れた真実と鎧の願文の涙

上総広常はなぜ粛清されたのか?頼朝が恐れた真実と鎧の願文の涙の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。

Q1:上総広常は本当に頼朝に対して謀反を企てていたのですか?
A1:史料上、広常が頼朝を裏切って平家方につく、あるいは自ら挙兵しようとしていた具体的な証拠は一切ありません。死後に発見された願文の内容からも明らかな通り、謀反は頼朝が広常を粛清するために仕立て上げた口実(冤罪)であったというのが、現在の歴史学における定説です。

Q2:『鎌倉殿の13人』で描かれた「文字の練習」のシーンは史実ですか?
A2:文字の練習をしていたという描写は、脚本家・三谷幸喜による創作演出です。しかし、「死後に鎧から頼朝の大願成就を祈る願文が見つかり、頼朝が深く後悔した」というエピソード自体は、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』にしっかりと記されている紛れもない史実です。

Q3:広常を暗殺した梶原景時と広常は仲が悪かったのですか?
A3:個人的な確執があった記録はありません。景時は広常をリスペクトしつつも、頼朝からの絶対的な密命を受けたため、親しげに双六を打ちながら隙を窺うという最も確実な手段を選びました。景時は頼朝の意図を完全に理解した上で、組織の汚れ役を冷徹に全うしたと言えます。

Q4:上総広常のお墓や供養塔はどこにあり、現在も見学できますか?
A4:千葉県大多喜町黒原に「伝・上総広常供養塔」が存在し、現在も見学が可能です。また、広常が暗殺された鎌倉の地(神奈川県鎌倉市)周辺や、居館があったとされる千葉県市原市などにも関連する史跡が残されており、歴史ファンの巡礼地となっています。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。