サッチャー元首相の功績と影|「鉄の女」の真実と2026年の再評価
サッチャーが進めた民営化政策は世界中の手本とされましたが、後年になって深刻な構造的欠陥を露呈しました。民営化の失敗理由として現在最も批判されているのが、公共インフラ分野における設備投資の怠慢と料金の高騰です。独占的性質が強い水道事業や、サッチャー退陣後に民営化された鉄道事業では、民間企業が短期的な株主配当を最優先した結果、老朽化した下水道から未処理汚水が河川へ大量流出する環境問題や、安全投資の不足による運行トラブルが常態化しました。「公共財を利益追求の道具に変え、国民にツケを回した」という批判は、今なお英国社会でくすぶり続けています。
政治的命運に目を向けると、彼女の長期政権を確立させた最大の転機は1982年のフォークランド紛争でした。アルゼンチンの軍事政権が突如として英領フォークランド諸島を武力占領した際、英国財務省や米国の仲介案は外交的妥協を模索しました。しかし、サッチャーは即座に機動艦隊の派遣を決断。地球の裏側まで軍を展開させ、約2カ月の激戦の末に島を奪還したのです。支持率が20%台に沈んでいた政権は一気に愛国心の熱狂に包まれ、翌1983年の総選挙で保守党は大勝を収めました。
しかし、絶対的な権力は次第に独善へと変貌します。退陣の直接の引き金となったのは、1989年から導入を強行した「人頭税(コミュニティ・チャージ)」でした。財産や所得の多寡にかかわらず、成人一人あたりに同額の地方税を課すという極端な逆累進税制は、大富豪と低所得労働者が同じ税額を支払う理不尽を生み出しました。ロンドンのトラファルガー広場では20万人規模の暴動が勃発し、逮捕者は数百名に達しました。
さらに、ヨーロッパ統合(EUの前身であるECの通貨統合)をめぐり、「ノー、ノー、ノー」と断固拒絶するサッチャーの姿勢に対し、親欧州派のジェフリー・ハウ副首相ら側近が相次いで辞任。党内造反によって保守党党首選での過半数獲得に失敗したサッチャーは、1990年11月、涙を浮かべながらダウニング街10番地の首相官邸を去ることになりました。