佐藤栄作の真相|歴代最長政権の秘密と沖縄返還の光と影
佐藤政権最大の歴史的業績として刻まれているのが、1972年5月15日の「沖縄返還」です。1965年に戦後の首相として初めて沖縄の地を踏んだ佐藤は、那覇空港で次のような歴史的声明を残しました。 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後は終わっていない」 佐藤は「核抜き・本土並み」という極めて高いハードルを掲げ、当時のリチャード・ニクソン米大統領との熾烈な首脳交渉に挑みました。並行して1967年には、日本平和外交の柱となる「非核三原則(持たず、作らず、持ち込ませず)」を表明し、世論の絶大な支持を取り付けます。 しかし、この華々しい外交成果の裏には、後世に大きな議論を呼ぶ「密約」が存在していました。 国際政治学者・若泉敬を極秘の「首相密使」としてワシントンへ派遣した佐藤は、米軍が有事の際に沖縄へ核兵器を再持ち込みすることを日本側が事実上黙認するという内容の合意文書(日米首脳会談の議事録メモ)に署名していたのです。さらに、米軍用地の原状回復補償費など、本来アメリカ側が負担すべき約400万ドルを日本政府が肩代わりする財政密約も交わされていました。 この密約の存在は、1971年に毎日新聞の西山太吉記者による機密漏洩事件(西山事件)として表面化し、当時は政府によって全面的に否定されました。しかし、2000年代以降のアメリカ側解禁文書や、若泉敬の遺品・告白本、さらには元外務省高官の証言によって、密約が歴然たる事実であったことが完全に裏付けられています。