北原ミレイ『石狩挽歌』に秘めた阿久悠の真実|名曲誕生と現在の姿
『石狩挽歌』の歌詞には、北海道・小樽から石狩にかけての日本海沿岸に実在する地名や、当時のニシン漁特有の用語が巧みに散りばめられています。その難解とも言える言葉の数々が、聴き手に映画のワンシーンのような鮮烈な映像を想起させます。
冒頭の「海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると」というフレーズは、カモメの鳴き声を合図に沸き立ったかつての浜の熱気を伝えます。「笠泊り(かさどまり)」とは、荒天時に船を一時避難させる仮の停泊地を指し、不安定な漁師の生活そのものを象徴しています。そして小樽市の断崖絶壁に位置する「オタモイ岬」に建てられた「にしん御殿」は、かつて一攫千金を果たした網元たちの栄華の象徴であり、同時に今は朽ち果てた哀しいモニュメントです。
さらに歌詞に登場する「パッチ網(にしん漁で用いられた袋状の網)」や「古代文字(フゴッペ洞窟などの壁画を連想させる謎めいた刻印)」といった言葉は、人間の営みのはかなさと悠久の時との対比を際立たせています。
タイトルにある「挽歌(エレジー)」とは、本来は死者を悼む詩歌のことです。阿久悠氏が描いたのは、去っていった男への未練だけではなく、海に生き、海に裏切られ、時代の波に呑まれて消え去っていった無名の人々の魂に対する深い鎮魂歌だったのです。