鉄腕・稲尾和久の真実!シーズン42勝と「神様仏様」の奇跡を徹底解剖
日本プロ野球の歴史において、最も劇的な逆転劇として語り継がれるのが1958年日本シリーズ4連勝の軌跡です。三原脩監督率いる西鉄ライオンズは、水原茂監督擁する読売ジャイアンツと3年連続で激突。下馬評では西鉄有利と見られていたものの、開幕から巨人の猛攻を受け、西鉄はまさかの開幕3連敗を喫します。王手をかけられ、平和台球場に漂う重苦しい空気を一変させたのが稲尾和久でした。
第4戦に先発した稲尾は巨人を寄せ付けず完投勝利を収めると、翌日の第5戦ではリリーフとして登板。同点の延長14回裏には、自らのバットでサヨナラ本塁打を放ち劇的な勝利をもぎ取ります。雨による順延を挟み、後楽園球場に舞台を移した第6戦、第7戦も稲尾が先発して完投。なんと7試合中6試合に登板し、第4戦から4連続完投勝利(シリーズ通算4勝)を挙げるという人間離れした離れ業で、西鉄を3年連続日本一へと導きました。
この戦いぶりを目の当たりにした西日本スポーツの担当記者が、極限状態の中で見出しに打った言葉こそが「神様、仏様、稲尾様」でした。後年の特番インタビューや自著『神様、仏様、稲尾様』のなかで、稲尾本人は「第7戦のマウンドでは指先の感覚がなくなり、ボールの縫い目すら感じられなかった。ただ捕手のミットめがけて腕を振るしかなかった」と告白しています。疲労困憊の極致にあってなおストライクゾーンを射抜き続けた鬼気迫る姿が、ファンの心を揺さぶり、不滅のフレーズを誕生させたのです。