名優・小林稔侍の現在と引退・病気説の真相!家族や高倉健との絆に迫る

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小林稔侍の役者人生は、決して順風満帆なエリートコースではありませんでした。和歌山県伊都郡かつらぎ町の自然豊かな環境で育ち、和歌山県立笠田高等学校を卒業後、俳優を志して上京。1961年に「第10期東映ニューフェイス」に合格し、映画『警視庁物語 十代の足どり』で銀幕デビューを果たしました。

同期には後のトップスターたちが名を連ねる中、小林稔侍に与えられたのは名もないチンピラ役や斬られ役、刑事ドラマの端役ばかりでした。若い頃のポートレートや出演画像を見ると、身長180cmという当時の日本人としては突出した恵まれた体躯と、彫りの深い野性味あふれる端正な顔立ちを誇りながらも、主役に抜擢される機会には恵まれませんでした。およそ20年もの間、極貧の大部屋俳優として辛酸を舐める日々が続いたのです。

その暗闇の中で、小林稔侍の運命を決定づけたのが、日本映画界の孤高の巨星・高倉健との運命的な出会いでした。

東映の撮影所で、誰に対しても礼儀正しく、泥まみれになって端役を演じ続ける小林稔侍の誠実さに目を留めた高倉健は、彼を実の弟のように可愛がるようになりました。当時の回想録や特番インタビューで、小林稔侍は高倉健との忘れられないエピソードを感情を込めて述懐しています。

撮影現場の片隅で飢えと寒さに震えていた無名時代、高倉健はすっと歩み寄り、「稔侍、飯食ったか」とだけ声をかけ、人目につかない場所で温かい食事をご馳走してくれたといいます。また、役がつかずに荒れそうになる小林稔侍に対し、高倉健は「辛いだろうが、腐るなよ。お天道様は必ず見ているからな」と励まし続けました。高倉健が東映を離れた後も二人の私的な師弟関係は続き、小林稔侍は高倉健を生涯の師・兄貴分として仰ぎ続けました。

その絆が最高の形で結実したのが、1999年の名作映画『鉄道員(ぽっぽや)』(降旗康男監督)です。定年を控えた頑固な鉄道員・佐藤乙松を演じる高倉健の親友であり、共に過酷な雪の鉄路を生き抜いてきた機関士・杉浦仙次役を小林稔侍が熱演しました。駅の待合室で酒を酌み交わし、互いの不器用な半生を称え合う名シーンは、二人が実際の人生で積み重ねてきた数十年の友情と信頼がそのままフィルムに焼き付いた奇跡の瞬間でした。

この演技が高く評価され、小林稔侍は第23回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。遅咲きの名優が50代後半にして手にした栄冠は、長年彼を支え続けた高倉健への最高の恩返しとなりました。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

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