市川猿之助はなぜ生き残ったのか?両親との決定的な違いと裁判判決後の現在
事件の発端となったのは、2026年5月18日の朝に発売された週刊誌によるハラスメント報道でした。前日夕方に記事の概要を知らされた猿之助は、両親に事態を打ち明け、家族会議の末に「みんなで次の世界へ行こう」と心中を決意したと公判で証言しています。
当時の詳細なタイムラインを整理すると、前夜から翌朝の発見に至るまでの極めて緊迫した動きが浮き彫りになります。
【事件当日前後の時系列推移】
- 5月17日夜:自宅リビングにて家族会議。「次の世界でやり直そう」と合意し、猿之助が自身に処方されていた睡眠導入剤を準備。両親に薬をすり潰して水などに溶かして飲ませる。
- 5月17日深夜:意識を失った両親の顔にビニール袋を被せ、自身も睡眠導入剤を多量に服用。
- 5月18日未明〜早朝:半地下の自室クローゼットへ移動し、遺書となるメッセージを残した上で首を吊ろうと試みる。
- 5月18日午前10時過ぎ:明治座公演の支度に向かわない猿之助を心配したマネージャーと関係者が自宅を訪問。2階リビングで両親を、半地下で意識朦朧状態の猿之助を発見し119番通報。
- 5月18日午前11時頃:搬送先の病院で母・延子さんの死亡が確認され、父・段四郎さんもその後死亡が確認される。猿之助は集中治療室で一命をとりとめる。
事件の一報が入った際、明治座の昼公演は急遽代役(市川團子ら)が務めるなど、興行界全体に未曾有の激震が走りました。