三島由紀夫の日本刀「関孫六」の真実|鑑定結果と自決刀の現在を追う

話題沸騰中の 三島由紀夫の日本刀「関孫六」の真実|鑑定結果と自決刀の現在を追うについて、詳しいまとめを分かりやすく掲載しています。

三島が市ヶ谷へ携えて向かった日本刀は、美濃の鍛冶・二代兼元(通称「関の孫六」)の作と伝えられていた軍刀仕立ての一腰でした。刃長は二尺三寸六分(約71.5cm)。刃文には孫六の代名詞である独特の「三本杉(尖り互の目)」が連なっていました。

この刀は事件の約半年前、日本刀蒐集の趣味を持っていた三島が、神田の刀剣商・山田英三氏から工面して入手したものです。三島自身は「これぞ本物の孫六兼元である」と信じ込み、楯の会の隊員たちにも自慢げに見せびらかしていたと当時の会員手記に記されています。しかし、事件直後に警視庁鑑識課や日本美術刀剣保存協会の鑑定家たちによって行われた詳細な刀剣鑑定は、冷酷な現実を浮き彫りにしました。

専門家による鑑定結果の結論は、「室町時代後期の二代兼元(孫六)の真作ではなく、江戸時代後期(新々刀期)の関住兼元、あるいは無銘刀に後から銘を彫り込んだ後刻銘(偽銘)の可能性が高い」という判定でした。地鉄の肌立ちや刃中の働き、茎(なかご)の錆色の風合いが、本物の孫六が持つ古雅な質感とは異なり、幕末前後に量産された実用刀の特徴を示していたのです。

しかし、愛刀家や文学研究者の間では「本物か偽物か」という物理的真贋を超えた議論がなされています。三島にとって決定的だったのは、美術品としての骨董的価値ではなく、「武士の魂としての関孫六」を帯びて死地に赴くというロマンティシズムそのものでした。客観的には偽銘刀であったとしても、三島の主観的世界においては間違いなく本物の「関孫六」として機能していたという皮肉な事実が、この事件の文学性をより深奥なものにしています。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

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