西山事件の真相と沖縄密約|国家の嘘と報道の自由が問われた全貌
国会での密約暴露を受け、佐藤栄作首相や福田赳夫外相は「事実無根」と全面否定しました。政府が繰り出した対抗策は、密約の真偽を答弁することではなく、情報漏洩ルートの徹底的な捜査と記者の社会的失脚でした。
1972年4月4日、警視庁は機密電報を持ち出した外務省女性事務官を国家公務員法第100条(秘密を守る義務)違反の容疑で、そして西山記者を同法第111条(唆し=教唆)の容疑で逮捕しました。国家の嘘を暴いたジャーナリストが、国家公務員をそそのかして秘密を漏らさせた「犯罪者」として身柄を拘束された瞬間でした。
裁判では、憲法第21条が保障する「表現の自由」「知る権利」「取材の自由」と、国家の機密保持の境界線が激しく争われました。1974年の一審(東京地裁)では、西山記者の取材活動は正当業務行為として無罪判決が下されたものの、1976年の二審(東京高裁)で逆転有罪となりました。
そして1978年5月31日、最高裁判所第一小法廷は上告を棄却し、西山記者に対して懲役4月・執行猶予1年の有罪判決を確定させました(西山事件 最高裁判決)。
この最高裁判決の判例要旨において、裁判所は「報道機関の取材の自由は憲法21条の精神に照らし十分尊重されるべき」と前置きしつつも、「取材対象者の人格的尊厳を蹂躙し、判断力を失わせるような方法によって秘密を漏泄させた行為は、社会通念上是認される正当業務行為の範囲を逸脱している」と断じました。取材手法を理由に有罪を言い渡したこの判断は、日本のメディア法判例において今なお極めて大きな影響力を持っています。