居酒屋兆治の実在モデルと函館の現在|高倉健と大原麗子の切なき真実

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『居酒屋兆治』という物語が世に出る契機となったのは、作家・山口瞳が雑誌『波』(新潮社)に1979年10月号から1980年11月号にかけて連載した小説『兆治』でした。その後、1982年6月に単行本として改題刊行され、市井の人々の悲哀を温かく見つめる名作としてベストセラーを記録します。

山口瞳自身、サントリー(旧・壽屋)の宣伝部出身であり、サラリーマンの悲哀や酒場文化の機微を誰よりも知り尽くした文筆家でした。原作は、大企業のエリート街道から外れ、妻とともに小さなもつ焼き屋を営む元高校球児の兆治と、カウンター越しに交錯する客たちの愛憎・挫折を描いた連作短編の趣を持っています。

この小説に強い愛着を抱いたのが、名匠・降旗康男監督と主演の高倉健の黄金コンビでした。映画化にあたり、降旗監督と脚本の大野靖子は大きな決断を下します。東京郊外・国立のベッドタウンを舞台にした原作の日常劇を、津軽海峡の冷たい風が吹きつける北の港町・函館へと舞台を移し替えたのです。

映画関係者の回想録や当時のインタビュー資料によると、降旗監督は「健さんの背中には、東京の私鉄沿線よりも、冬の気配が迫る北の海が似合う」と直感したと語っています。高倉健自身も役作りに徹底してこだわり、撮影前には焼き鳥の串打ちや焼き台の手入れ、縄のれんをくぐる所作を現地の職人から何日もかけて学びました。劇中で見せる無言の包丁捌きや、炭火の煙越しに見せる沈黙の演技は、高倉健という役者の身体性が生み出した究極のリアリズムといえます。

山下 哲也

山下 哲也

自動車・モビリティライター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。