尊王攘夷の真相|幕末の熱狂はなぜ倒幕と開国へ激変したのか

尊王攘夷の真相|幕末の熱狂はなぜ倒幕と開国へ激変したのかの重要ポイントを解説します。最新トレンドが詰まっています。

現代のインターネット掲示板やSNSでは、「尊王攘夷派の志士=単なる外国人嫌いのレイシスト(排外主義者)や無謀なテロリスト」と揶揄される言説が散見されます。しかし、歴史の深層をつぶさに追うと、そこには重大な認識の飛躍が存在します。歴史学において明確に区別される「小攘夷(しょうじょうい)」と「大攘夷(だいじょうい)」の概念です。

【小攘夷と大攘夷の構造的違い】
・小攘夷(感情的排外論):目前の外国人を刀で斬り捨てる(天誅、生麦事件など)、あるいは海岸に近づいた外国船を大砲で無差別に打ち払うという、手段と目的を混同した原始的排外主義。
・大攘夷(戦略的国権論):外国の圧倒的な軍事力・経済力を直視し、自国を植民地化から防衛するために、一度は開国して西洋の科学技術や制度を積極的に導入。国力を養った上で、将来的に欧米列強と対等な主権を確立しようとする現実主義。

幕末の悲劇であり奇跡でもあったのは、1863年の「薩英戦争」と1864年の「下関戦争(四カ国連合艦隊砲撃事件)」という二つの致命的な敗北でした。長州藩はイギリス・フランス・アメリカ・オランダの連合艦隊に下関の砲台をことごとく粉砕され、薩摩藩も英国東洋艦隊の圧倒的な艦砲射撃によって鹿児島城下が火の海となりました。

この凄まじい軍事実力の差を肌身で痛感した志士たちは、「竹槍や火縄銃で外国人を追い払うなど不可能だ」という現実を骨の髄まで悟ります。ここから彼らは「小攘夷」の看板を捨て、驚くべき冷徹さで「大攘夷」へと舵を切りました。勝海舟や坂本龍馬が説いた海軍創設論を呑み込み、長州藩の高杉晋作や薩摩藩の西郷隆盛らは、イギリスなど西欧列強から最新式のアームストロング砲やミニエー銃を大量に買い付け、軍制を急速に西洋化していったのです。

「攘夷を行うためにこそ、開国しなければならない」という逆説的な論理転換こそが、尊王攘夷運動の真の到達点でした。「攘夷派が開国派になった」のではなく、「攘夷を本気で達成するために開国の手段を採用した」というのが歴史の厳密な実相です。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。