伊藤博文の死因と暗殺の真相|ハルビン駅の凶弾と最期の言葉

伊藤博文の死因と暗殺の真相|ハルビン駅の凶弾と最期の言葉の要点や背景を丁寧にまとめました。全体像を一目で把握できます。

伊藤を暗殺した安重根は、朝鮮の独立運動家であり敬虔なカトリック信徒でした。逮捕後の取り調べおよび関東都督府地方法院(旅順)での公判において、安重根は伊藤博文を暗殺した動機として「伊藤博文の15箇条の罪状」を堂々と陳述しました。

その主張には、1905年の第二次日韓協約(乙巳保護条約)による大韓帝国の外交権剥奪、軍隊解散、高宗皇帝の強制退位、さらには東洋平和を乱した元凶としての責任追及が含まれていました。安重根の思想的根底には、日・清・韓の3国が対等に連携して欧米列強に対抗すべきだとする「東洋平和論」が存在し、伊藤こそがその連帯を破壊する最大の侵略者であると確信していたのです。

しかし、ここに歴史の悲劇的なすれ違いが存在します。当時の日本政府内において、伊藤博文は山県有朋や桂太郎らが主張する即時無条件の「日韓併合」に対し、「時期尚早である」「拙速な併合は朝鮮民衆の強い反発を招く」としてブレーキをかけ続けていた慎重派の筆頭でした。保護国化にとどめ、漸進的な近代化支援を模索していた伊藤を倒したことは、結果として日本政府内の強硬派・併合推進派を一気に勢いづかせる引き金となってしまいました。

旅順での裁判は国際的な注目を集める中、1910年2月に死刑判決が下され、同年3月26日に旅順刑務所において安重根の処刑が執行されました。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。