音楽用語カンタービレの真意|歌うように弾くピアノ表現の極意
cantabileという概念を音楽史上最も先鋭的にピアノ上で具現化したのが、19世紀の「ピアノの詩人」フレデリック・ショパンです。ショパンの遺した膨大なノクターン(夜想曲)の楽譜には、随所にcantabileやsotto voce(声を潜めて)といった声楽由来の指示が書き込まれています。
ショパンは当時パリを席巻していたイタリア・オペラの「ベルカント唱法(美しく装飾的に歌い上げる声楽技法)」を病的なまでに崇拝し、弟子の手記によれば「歌うことを学ばなければピアノは弾けない。オペラ座へ行って名歌手たちの呼吸を聴きなさい」と口癖のように指導していました。例えば『ノクターン 第2番 変ホ長調 Op.9-2』の右手の華麗なフィギュレーションは、声楽家が息に乗せて紡ぐアリアのカデンツァそのものです。ショパンにおけるカンタービレとは、左手がメトロノームのように正確な時間枠(時計の振り子)を維持し、その整然とした空間の中で右手の旋律が自由自在に伸び縮みして息をつく、という精緻な二重構造によって成り立っています。
一方、この音楽用語を日本中の大衆へ一気に知らしめたのが、二ノ宮知子氏による空前の大ヒット漫画『のだめカンタービレ』です。作中におけるヒロイン・野田恵(のだめ)は、楽譜通りの厳格な演奏を強要される旧来のクラシック教育に息苦しさを覚えながらも、一度鍵盤に向かえば天真爛漫かつ破天荒に「自身の生命を丸ごと歌わせる」圧倒的な天賦の才を発揮します。
作品タイトルの由来について、作者や関係者の証言が示す通り、そこには「型に嵌められた優等生的な音楽ではなく、人間本来の歓喜と叫びをカンタービレ(歌うように)解き放つ」という強烈なメッセージが込められていました。主人公たちが伝統的なクラシック界の形式主義と格闘しながら、自分だけの「歌」を獲得していくドラマ構造は、まさに音楽用語としてのcantabileが持つ真の生命力――技術の先にある人間性の解放――を象徴していたと言えます。