中井貴一の父・佐田啓二の生涯と壮絶死|3歳での別れと瓜二つの絆
中井貴一は過去の特番インタビューや対談番組(『徹子の部屋』『ボクらの時代』等)において、「実体験としての父親の記憶はひとつもない」と率直に告白しています。自宅に残された大量のアルバムや出演映画のスクリーンの向こう側にいる佐田啓二は、少年時代の中井貴一にとって「父親」というよりも「遠い世界の大スター」でした。
一家の大黒柱を失った後、母・益子さんは子どもたちに決して甘えを許さず、品格ある教育を徹底しました。「佐田啓二の看板」に頼ることなく、礼儀正しさと自立心を叩き込まれたことが、後の中井姉弟の誠実な人間形成の基盤となります。
成蹊大学在学中にスカウトされ、父の17回忌の節目に映画『連合艦隊』(1981年)でデビューした中井貴一ですが、当初は「二世」と呼ばれることへの強烈な違和感とプレッシャーに苛まれていました。どこへ行っても「佐田啓二の息子」として見られ、自らの努力や実力そのものを評価してもらえない時期が続いたからです。
その葛藤が氷解したのは、自らが父の亡くなった年齢である「37歳」を迎えた瞬間でした。「37歳になったとき、自分はまだまだ未熟だと痛感した。その同じ年齢で父はあれほど多くの名作を残し、一家を支えていた。父の偉大さに心から頭が下がった」と語っています。父の背中を年齢で捉え直した瞬間から、比較される重圧は消え去り、佐田啓二という存在は「生涯かけて追い続けるべき尊敬の対象」へと変化しました。