竹島問題における韓国の主張と真相|歴史的根拠と日本の反論を徹底検証

竹島問題における韓国の主張と真相|歴史的根拠と日本の反論を徹底検証の注目されている理由を丁寧にまとめました。全体像を一目で把握できます。

第二次世界大戦後の国際法秩序において、領土の最終的な線引きを決定づけたのがサンフランシスコ平和条約(1951年調印、1952年発効)です。この条約の第2条(a)には、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と明記されています。

韓国側は、放棄すべき島嶼として列挙された3つの島はあくまで例示に過ぎず、鬱陵島の属島である独島も当然に含まれると主張します。しかし、外交記録の機密解除によって明らかになった条約の起草プロセスは、この主張を完全に否定しています。

1951年7月、駐米韓国大使の梁裕燦(ヤン・ユチャン)は米国のダレス特使に対し、日本が放棄すべき領土として「独島(リアンクール岩礁)」を明記するよう公式に要請しました。これに対し、米国政府は徹底的な調査を行った上で、1951年8月10日付でディーン・ラスク国務次官補名による公式文書(通称ラスク書簡)を韓国側に送付しました。

その書簡には、極めて明確に次のように記されています。

「リアンクール岩礁(竹島)に関しては、朝鮮の一部として取り扱われたことは一度もなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない」

主用起草国であった米国によるこの公式通告は、連合国としても竹島を日本領として維持させる意思を持っていた動かぬ証拠です。韓国側の要求は正式に却下され、最終条約文に竹島の名が放棄地域として加えられることはありませんでした。

中川 明日香

中川 明日香

ビジネス戦略アナリスト

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