田中角栄のすごさとは?今なお語り継がれる圧倒的実行力と伝説の真相
田中角栄を語る上で欠かせないのが、「コンピューター付きブルドーザー」という強烈な異名です。この言葉は、緻密極まりない計数管理能力と、どんな難局も押し切る規格外の突進力を併せ持っていたことに由来します。
新潟県の農家に生まれ、高等小学校を卒業後に単身上京した田中は、昼は土木現場や事務所で働き、夜勤明けの時間を使って中央工学校の夜間部(土木科)で学びました。官僚や政界の主流派が東京帝国大学出身のエリートで占められていた時代、この異例の経歴・学歴は政界において異彩を放ちました。
田中のすごさは、単なる「腕っぷしの強さ」ではありませんでした。国会答弁や政策議論において、官僚が提示する予算書や統計データの数字の矛盾を瞬時に見抜き、相手を圧倒したと伝えられています。当時の閣僚経験者の回顧録によると、各省庁の予算配分や道路網の距離、建設コストをすべて頭頭に叩き込んでおり、数字を巡る議論で田中に敵う官僚は一人もいなかったといいます。
その実力を裏付けるのが、戦後の国会議員として最多クラスを誇る100本以上の議員立法を成立させた実績です。通常、法律の策定は官僚機構が主導する「閣法」が一般的ですが、田中は自ら法案の骨子を書き上げ、関係各省庁の利害を力技で調整して次々と法制化しました。「ガソリン税を道路整備の特定財源に充てる仕組み(道路特定財源制度)」をはじめ、現在も日本の社会基盤を支える制度の多くが、田中角栄の手によって生み出されています。