細田守の脚本はなぜ賛否が割れる?奥寺佐渡子との決別と単独執筆の裏側
興味深いのは、日本国内のレビューサイトで脚本への批判が集中する一方で、フランスのカンヌをはじめとする国際的な映画界では、細田監督の評価が依然として極めて高い点です。
海外の映画批評では、因果関係が綺麗に整ったハリウッド型のプロットよりも、監督独自の作家性や寓話性(メタファー)、映像による詩的な表現が重んじられます。『未来のミライ』に見られるような「時間の旅を通じた無意識の探求」や、『竜とそばかすの姫』の「自己肯定とネット空間の二面性」は、作家主義映画として非常に高く評価されています。
しかし、日本のアニメ映画市場において観客が求めているのは、緻密に練られたエンターテインメントとしてのカタルシスや納得感です。大衆が求める「王道のストーリーテリング」と、監督自身が挑む「アート性の強い個人的表現」との間に生じたズレが、近年の評価の分断をより鮮明に浮き彫りにしています。