江川事件の真相と空白の一日|小林繁との確執と現在を徹底解剖

江川事件の真相と空白の一日|小林繁との確執と現在を徹底解剖の基本情報から最新動向までを一挙に解説しました。

巨人が不在のまま強行された1978年のドラフト会議において、最大の波乱が巻き起こります。ライバル球団である阪神タイガースが江川氏を強行指名し、交渉権を引き当てたのです。法的には巨人の主張する「自由契約」と、連盟が主導する「阪神の交渉権」が真っ向から対立し、双方が訴訟も辞さない泥沼の法廷闘争へ発展する気配を見せました。

この未曾有の危機に介入したのが、当時の金子コミッショナー(金子鋭氏)でした。金子コミッショナーは球界の分裂を防ぐため、「江川は一度阪神と契約を結び、その後、読売ジャイアンツへトレード移籍させる形を取るのが望ましい」という超法規的な調停案(事実上のコミッショナー裁定)を提示しました。ルールを逸脱したこの政治的決着は、世論から「巨人と江川への露骨な優遇」として凄まじい批判を浴びることになります。

そして1979年1月31日、宮崎キャンプへの出発を控えた羽田空港近くのホテルで、球界史に刻まれる悲劇の通告が行われました。巨人のエースナンバーを背負い、前年にも13勝を挙げていた小林繁投手がトレードの相手として指名されたのです。阪神球団への入団契約を結んだ江川氏と、巨人の主力投手であった小林氏の電撃トレードは、キャンプイン初日となる2月1日未明に電撃発表されました。

突然の通告に対し、小林氏は記者会見で取り乱すことなく、「同情されるのは嫌だ。阪神で巨人を倒す」と毅然とした態度を貫きました。この小林氏の気品ある男気と引き際の見事さは、日本中のファンの心を打ち、彼を一躍国民的ヒーローへと押し上げました。一方で、望み通りの巨人入りを果たした江川氏には、「エゴイスト」「悪童」のレッテルが容赦なく貼り付けられることになったのです。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。