公明党と中国の蜜月はなぜ続く?親中批判の真相と2026年の激動
公明党が政界で「最も強固な対中パイプを持つ政党」と目される最大の理由は、日本と中華人民共和国が正式に国交を結ぶ契機を作ったのが他ならぬ公明党だったという歴史的事実に基づきます。これは党内において単なる政策方針ではなく、党のアイデンティティそのものとして継承されてきました。
時計の針を1968年9月8日に巻き戻すと、創価学会の池田大作会長(当時)が学生部総会で発表した「日中国交正常化提言」がすべての発端です。当時は冷戦構造の真っ只中であり、日本政府が台湾(中華民国)を正統政府と認めていた時代でした。中国を国家承認し、国連へ加盟させ、経済・文化交流を進めるべきだとする主張は、当時の国内世論から激しいバッシングを浴びたものの、北京の指導部には強い衝撃と敬意をもって受け止められたと記録されています。
決定打となったのは、1972年7月の竹入義勝公明党委員長(当時)による訪中です。竹入氏は北京の人民大会堂で周恩来首相と3回にわたり計9時間以上会談し、台湾問題や日米安保条約の扱い、戦争賠償請求の放棄といった極めて重い課題について周氏の腹積もりを聞き出しました。この会談録をまとめた通称「竹入メモ」が田中角栄首相に手渡されたことで、同年9月の田中首相訪中と日中国交正常化が一気に実現へ導かれたのです。
中国側には「井戸を掘った人を忘れない」という格言があります。国家が孤立していた時代に橋を架けた創価学会と公明党に対し、毛沢東・周恩来時代から現在の習近平指導部に至るまで、歴代共産党トップが特別な敬意を払い続けてきたことが、今日に至る太いパイプの源泉となっています。