京都と戦争の真実|大規模空襲を免れた理由と原爆投下計画の全真相
長年、日本国内では「米国の美術史家ラングドン・ウォーナー博士が米政府に進言し、京都や奈良の文化財を空襲リストから外させた」という説が広く信じられてきました。戦後、ウォーナー博士を顕彰する碑が建てられたことからも、その影響力の大きさがうかがえます。しかし、日米の公文書研究が進んだ現在、この美談は歴史的事実ではないことが判明しています。
米軍が京都への大規模な無差別焼夷弾攻撃を差し控えていた決定的な理由は、「原子爆弾の威力を検証するための標的都市」としてリストアップされていたからです。東京、大阪、名古屋などの大都市が焦土と化していく中、米軍司令部は京都を通常爆撃の対象から意図的に除外し、手つかずの状態で残すよう厳命していました。都市の原形が保たれていなければ、新兵器である原爆がどれほどの破壊力を持つのかを正確に計測できないという、冷酷な軍事実験の論理が働いていたのです。
当時の陸軍長官ヘンリー・スチムソンが京都への攻撃に反対したのは事実ですが、それは単なる文化愛好心からではありませんでした。かつて京都を訪れた経験があったスチムソンは、「日本の文化的中枢であり精神的支柱である京都を破壊すれば、戦後の日本人の対米感情が決定的に悪化し、親ソ連に傾く恐れがある」という地政学的なリスクを極めて強く警戒していました。文化的価値への配慮は、戦後統治を円滑に進めるための高度な政治的計算と分かちがたく結びついていたのです。