エレカシ「今宵の月のように」誕生秘話と歌詞の真実|契約打ち切りからの奇跡
「今宵の月のように」の劇的なドラマを語る上で避けて通れないのが、エレファントカシマシが味わった1994年のEPICソニーからの契約打ち切り通告です。1988年のメジャーデビュー当時、観客に「座って聴け」「拍手するな」と威嚇し、照明を落としたストイック極まりないステージで熱狂的な支持を集めた彼らでしたが、セールス的には低迷が続いていました。結果として7枚のアルバムを残しながらも契約解除となり、バンドは突如として活動の拠点を失います。
宮本浩次は当時の手記やドキュメンタリー番組の回想取材において、日暮里のアパートで貯金を切り崩しながら「俺たちの音楽はなぜ大衆に届かないのか」「自分は世の中に必要とされていないのではないか」と自問自答を繰り返していた胸中を赤裸々に明かしています。ロック純血主義を貫くだけでは食えないという過酷な現実に直面した宮本は、頑なだった自意識の殻を破り、プロデューサーの土方隆行氏らと出会いながらポニーキャニオンへの移籍を果たしました。
再起を懸けた1996年のシングル「悲しみの果て」で確かな手応えを掴んだバンドに、最大の転機が訪れます。それが1997年7月期に放送されたフジテレビ系ドラマ『月の輝く夜だから』(江角マキコ・岸谷五朗主演)の主題歌オファーでした。月9枠に迫る注目ドラマのテーマ曲という千載一遇のチャンスに対し、ドラマ制作サイドから求められたのは「視聴者の胸にストレートに飛び込む、キャッチーで力強いメロディ」という極めて商業的なハードルでした。
当時の宮本は、自宅の作業部屋に籠もり、プロデューサーから何度もデモテープの手直しを求められながらメロディを練り上げました。妥協や迎合ではなく、「大衆の耳を奪い、かつ自分自身の誇りを1ミリも汚さない究極のポップソングを作ってやる」という執念の結晶こそが、エレファントカシマシの15枚目シングル「今宵の月のように」だったのです。