生涯かすり傷なし!徳川四天王・本多忠勝の最強伝説と死因の真相
忠勝の強さを語る上で外せないのが、室町時代の名工・村正一派の藤原正真が鍛え上げたとされる名槍「蜻蛉切(とんぼきり)」です。槍の穂先に止まった蜻蛉が、止まった瞬間に自らの重みで真っ二つに切れたという逸話から名付けられました。長大な柄を備えたこの大槍を軽々と振り回し、迫り来る敵兵を次々となぎ倒す忠勝の姿は、戦場における恐怖の象徴でした。
その武勇は同時代を代表する英傑たちをも震撼させました。元亀3年(1572年)の「一言坂の戦い」では、武田信玄の猛攻を受ける徳川軍の殿(しんがり)を見事に務め上げ、武田軍の武将から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と狂歌で称えられます。さらに「姉川の戦い」での目覚ましい活躍を見た織田信長は忠勝を「花実兼備(華やかさと実力を兼ね備えた)の勇士」と呼び、小牧・長久手の戦いではわずか500の兵で豊臣軍の大軍の前に立ち塞がった度胸に豊臣秀吉が感嘆し、「東国無双の勇士」と絶賛しました。