征韓論とは?西郷隆盛と大久保利通の対立真相と西南戦争への結末

征韓論とは?西郷隆盛と大久保利通の対立真相と西南戦争への結末についての真相をお届けします。

征韓論(せいかんろん)とは、明治初期の1873年(明治6年)、隣国である朝鮮(李氏朝鮮)に対して使節派遣や軍事行動を行うべきかを巡って明治政府内で起きた大論争です。この論争は単なる外交論にとどまらず、政府を真っ二つに引き裂く政変へと発展し、近代日本の政治構造を根底から作り変える契機となりました。

そもそも征韓論がなぜ起きたのか、その発端は江戸時代から続く日朝関係の歪みにありました。明治政府は王政復古を達成した後、新政府成立を知らせ国交を樹立するための国書(書契)を朝鮮側へ送りました。しかし、朝鮮側はこの受け取りを拒否します。当時の朝鮮は徹底した鎖国・攘夷政策を採っており、日本側の国書に伝統的な中華秩序で中国皇帝のみが使用を許されていた「皇」「勅」といった文字が含まれていたことに反発したためです(書契問題)。

さらに、当時の日本では廃藩置県や秩禄処分により特権や職を失った約40万人以上の士族(旧武士階級)が極度の不満と経済的困窮を抱えていました。国内の不満の矛先を海外へ向けさせ、士族の活躍の場を作るべきだという強硬論が沸騰したことで、外交問題は一気に国家存亡をかけた政治闘争へと過熱していきました。

井上 凛

井上 凛

シニアコンテンツプロデューサー

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。