べらぼう主人公・蔦屋重三郎とは何者か?天才メディア王の生涯と真相
栄華を極めた蔦屋重三郎のキャリアですが、その歩みは権力との壮絶なせめぎ合いの連続でした。特に老中・松平定信が主導した「寛政の改革」は、蔦重の出版帝国に壊滅的な打撃を与えることになります。
質素倹約と風紀取り締まりを掲げた幕府は、庶民の娯楽や風刺出版を厳しく警戒。寛政3年(1791年)、蔦重が出版した山東京伝の洒落本『仕懸文庫』『青楼昼之世界錦之裏』『娼妓絹籔』の3作品が「風俗を乱す」として幕府の逆鱗に触れました。出版関係資料や当時の幕府記録によると、京伝は手鎖五十日の刑に処され、版元の重三郎には「身代(財産)半分没収」という過酷極まりない過料処分が下されました。
全財産の半分を失うという破滅的危機に直面しながらも、蔦重の反骨心は決して折れませんでした。「幕府が文字での風刺を禁じるなら、圧倒的なビジュアル(浮世絵)で勝負する」――この執念が生んだ起死回生の一手が、無名の絵師・喜多川歌麿の美人画シリーズであり、彗星のごとく現れた東洲斎写楽のデビュー劇でした。
しかし、ドラマのような逆転劇を繰り広げた重三郎に、病魔が無慈悲に襲いかかります。寛政9年(1797年)5月6日、重三郎は享年48(数え年)の若さで急逝。死因は当時「江戸患い」と恐れられていた重度の脚気(かっけ)による心不全(脚気衝心)でした。白米を常食していた江戸市中でビタミンB1不足が原因で多発していた病であり、あまりに突然の幕引きでした。