徳川家斉の正室・広大院とは?子53人の将軍を支えた茂姫の真実と大奥
徳川家斉といえば、日本史上屈指の「子だくさん将軍」として知られます。家斉がもうけた子供の総数は記録により諸説あるものの、公式記録『徳川実紀』等によれば男子26人・女子27人の計53人(一説には55人)に達します。
家斉の寵愛を受けた側室は総勢20人以上にのぼり、大奥の実権を握ったお美代の方(専行院)やお万の方(勢望院)、お楽の方(香琳院)などが次々と男子を出産しました。複雑を極める徳川家斉の家系図において、茂姫自身が生んだ子供は以下のとおりです。
【広大院(茂姫)が生んだ子供】
・長男:竹千代(早世)
・五男:敦之助(あつのすけ)(一橋徳川家を継ぐも早世)
・七男:徳川斉明(清水徳川家を継ぐも早世)
自身の実子はいずれも幼くして命を落とす悲運に見舞われましたが、大奥の法度において「すべての将軍の子は御台所の子」と定められていました。茂姫は側室たちが生んだ大勢の御台所付・将軍付子女を分け隔てなく養育し、大名家への養子縁組や輿入れを取りまとめる「公儀の母」として、揺るぎない威厳を保ち続けました。