江戸城無血開城とは?総攻撃中止の真相と勝海舟・西郷隆盛の決断
無血開城という言葉の根底にあるのは、「無用な戦いを避け、人命と社会インフラを守り抜く」という軍事・政治的妥協です。日本の歴史上、数多くの攻城戦が存在しますが、首都機能そのものを無傷で新体制へと移行させた事例として、江戸城の開城は世界史的にも稀有な出来事として知られています。
事態の発端となったのは、1868年1月に勃発した戊辰戦争の初戦「鳥羽・伏見の戦い」でした。朝廷から錦の御旗を掲げられた官軍(新政府軍)に対し、朝敵の汚名を着せられた旧幕府軍は敗走。前将軍である徳川慶喜は江戸へ戻り、一切の反抗を断ち切る「恭順謹慎」を表明しました。
しかし、薩摩藩や長州藩を中心とする官軍強硬派は、徳川家の完全な武力討伐を掲げて東海道・東山道・北陸道から江戸へ進軍。1868年3月15日を期日と定めた「江戸総攻撃」のカウントダウンが始まったことで、江戸の町は未曾有のパニックに陥りました。