浅葱色とはどんな色?新選組の羽織の真相と水色との違いを徹底解剖
浅葱色の独特の色彩美は、日本古来の「蓼藍(たであい)」を用いた発酵建ての工程から生まれます。藍染めは染液に浸して引き上げ、空気中の酸素に触れさせることで酸化発色を繰り返す技法です。
藍染めの濃淡スケールにおいて、布をごくわずかに浸した最も淡い色が「甕覗(かめのぞき)」、それに次いで染液に2〜3回くぐらせて酸化させた段階が浅葱色となります。さらに回数を重ねると「縹色(はなだいろ)」「藍色」「紺色」、限界まで染め重ねた「留紺(とめこん)」や「褐色(かちいろ)」へと深まっていきます。
浅葱色は藍の染料がまだ繊維の表層に薄く定着した状態であるため、下地となる木綿や絹の持つわずかな黄変と合わさり、独特の絶妙な青緑色を放ちます。この「青でありながら緑を内包する透明感」こそが職人の技術の見せ所であり、染液の状態が万全でなければ均一に発色させることが難しい繊細な色合いでもあります。
一方で、江戸時代の文化史において浅葱色は、ある社会的な蔑称を生み出しました。それが「浅葱裏(あさぎうら)」です。
江戸中期、幕府の倹約令のもとで庶民の間では木綿の着物が定着しました。表地には地味な黒や茶色を用いながら、羽織の裏地に鮮やかな浅葱色の木綿地を張る着こなしが流行します。しかし、このスタイルはやがて参勤交代で国元から江戸へ出てきたばかりの無骨な田舎武士の定番防寒着へと移り変わりました。
垢抜けない着こなしで江戸の街を闊歩する地方武士を、吉原の遊女や江戸の町衆は「田舎者」「野暮天」の代名詞として「浅葱裏」と嘲笑したのです。新選組の羽織が京の都で冷笑を浴びた背景には、この「浅葱=洗練されていない田舎侍」という当時の都市住民が抱いていた階層意識とステレオタイプが根底にありました。