渡瀬恒彦の死因と喧嘩最強伝説の真実!兄・渡哲也との絆と名作の軌跡
芸能史に輝くビッグネームである渡哲也と渡瀬恒彦の兄弟関係は、極めて独特かつ気高いものでした。兄・渡哲也は日活のトップスターから石原プロモーションの屋台骨を背負う存在となり、弟・渡瀬恒彦は電通PRセンター勤務を経て東映へ入社し、泥臭い実録アクションから実力派へと叩き上げました。
2人は互いの俳優活動に対して過度な干渉を一切せず、共演作も1970年代のNHK大河ドラマ『勝海舟』など極めて限られた本数にとどまりました。しかし、それは不仲ではなく「お互いが一人の表現者として独立し、甘えを排するためのプロの境界線」でした。渡哲也は後年、「弟の芝居のほうが器用で巧い」と公言し、渡瀬もまた「兄貴の存在感と器の大きさには到底敵わない」と敬意を払い続けていました。晩年、渡哲也が急性心筋梗塞などで倒れた際には渡瀬が陰で支え、渡瀬ががんと闘う日々においては渡哲也が連日電話で励まし合うという、誰にも入り込めない深い絆で結ばれていたのです。
また私生活においては、1973年に女優の大原麗子と結婚し、1978年に離婚。その後、1979年に一般女性と再婚しました。再婚相手となった妻との間には1男1女をもうけ、家庭環境は極めて温穏やかなものでした。特に闘病生活に入ってからは、夫人が食事の徹底管理や通院の付き添いを行い、最期の瞬間まで夫の手を握りしめて看病を続けました。過激な銀幕のスターでありながら、家庭においては子煩悩で家族を何よりも大切にする良き父親・良き夫でした。